老いと花

還暦まであと1年半、日々の出来事や思い出を気ままに綴ります。

かつぐ女


 今日、クリーニング店に出しておいた冬用の掛け布団を取りにいった。受け取った瞬間、
とても軽くなっていたので驚く。ひょいと肩にかつぎ歩き始めながら、いつかもこうして何かをかついで歩いた事を思い出した。
 3年ほど前の年末、都内のある公園まで家を持たない人たちに使ってもらおうと、自宅から毛布をかついで、ついでにキャリーバッグに敷き毛布を入れて持って行ったのだった。バスと電車で1時間半ほどかかったと思う。車内や行き交う人々の、ぎょっとした顔。さすがに少し気が引けたが、無事、公園に到着した。かついで持参した理由は、単純に郵送費を惜しんだからだ。公園で越冬準備をしていたのは、ほとんどが中高年の男性で、車いすに座った方もいた。
 家を持たない人たちについては、実際に20年近く彼らを支援している友人から時々、話を聞いてきた。皆、一生懸命生きてきた。一生懸命ではなかった時もあったかもしれないが。それは家を持つ人も同じだろう。だが、つまずいた時、私には保護者がいたが彼らにはいなかった、あるいはいたとしても、助けにはならなかったのかも知れない。友人が支援していた方は、ハッピーという名前の白い犬を大切にされていた。
 ' 写真は photo library から。http//www.photolibrary.jp )

イノセント・ストーリーズ

 家の前の歩道で、時々学校帰りの子供たちとすれちがう。「こんにちは。」「その犬、可愛いですね。」「蜘蛛の巣、いりませんか?」などと話かけられる事もある。(返事に困る場合は、仕方なく無言のまま通り過ぎる)
 若い頃は子供が好きではなかったが、年を取るにつれてとても好ましい存在になったのはなぜだろう。彼らが無垢であることに、強く惹かれているのかもしれない。かつて日本で発禁処分になった「チャタレイ夫人の恋人」の中で、夫人が小鳥を掌にのせてすすり泣く場面がある。なぜ泣くのかと恋人に問われ「余りにも無垢だから。」と答えた。人の子供も、罪を犯そうにもまだ生まれてから数年しか経っていない。
 トルーマン・カポーティはその才能の豊かさゆえに「恐るべき子供たち」の一人と呼ばれていたが、無垢なまま大人になることはできなかったようだ。実際の殺人者を主人公にした「冷血」を書いていた時、親しい女性から「彼が死刑になったら、貴方は困ると思っているわね。だって、続きが書けなくなるもの。」と言われ衝撃を受けたという。貧しい環境で育った殺人者に自分を重ね支援さえしていたが、本心はとっくに見破られていた。「冷血」が発表される前に書かれた「イノセント・ストーリーズ」は、私にとって大切な物語だ。時々、手にとって、世界には確かに無垢は存在するという事を確かめている。


鳥は飛ぶ

 何年か前、家の近くで鳩が死んでいた。カラスの声が余りにもやかましいので何事かと表に出ると、車道の真ん中でうつぶせになっていた。車に轢かれたのだろうか、脚の辺りに血痕が見える。カラスたちは電線に止まって、何やら相談しているようだった。放っておくと、彼らに食い荒らされてしまうと思い、近くの公園に埋めることにした。家に戻り、スコップを持って近づこうとした時、一瞬、強い風が吹いた。鳩は、風にあおられた両方の羽を広げ死んだまま飛んでいた。その時初めて、鳥は死んだ後も飛ぶことを知った。
 公園の片隅に埋めた後、見上げるとカラスたちが異常な声で鳴いている。その声には激
しい怒りが満ちていた。その晩、獣医師をしている友人に事の顛末を話したところ「カ
ラスも、寝床にお腹を空かした子供たちが待ってるもんね。」と言われた。