老いと花

還暦まであと1年半、日々の出来事や思い出を気ままに綴ります。

「遠くです。」

 55歳になったばかりの頃、ある駅で待ち伏せをされた事があった。なぜそうと分かったかといえば、その時一緒にいた友人にその人の外見を後日伝えたところ、彼とすれ違った事を憶えていたからだ。友人と別れ改札口に入ろうとした時、いきなり呼び止められた。
 私は裸眼ではほとんど何も見えないが(ちょうどその日は、眼が痛くてコンタクトをしていなかった)背が高く、目の大きな人が覆いかぶさるように立っているのが分かった。「どこまで帰るんですか?」唐突な質問にとてもとまどったが「遠くです。」と答えた。背広を着た身なりのきちんとした人だった。年齢は40歳あちこちだろうか。この年になっても、男の人の年齢は見た目では全く分からないが。その軽薄な物言いと強引な態度に白けた気持ちと共に恐ろしさも少し感じながら、後じさりをしつつホームに小走りで向かった。
 昨日、その駅を通過した時、車中でこの事を思い出した。どうしてあんな風に答えたのだろう。当時、私はいつも遠くにいる人を想っていたからかも知れない。

熱帯の栗

 


 随分前だが、東南アジアのある国で開かれた会議に参加した事があった。アジア各国から何名かずつが参加していた。会議も終わり、打ち解けた数名で短い自由時間を有効に使おうとタクシーに乗り込み街に繰り出した。
 すっかり暗くなって辺りの様子もよく見えなくなっていたが、突然、窓の隙間から香ばしい匂いがなだれ込んできた。熱帯の空気はたっぷりと湿気を含んでいるので、匂いも普段、嗅ぐものより濃いような気がする。すると、韓国から参加していた若い女性が運転手に車を止めるように頼んだ。何をするのかと思っていると、闇の中に輪郭だけ浮かび上がっている屋台に向かって走っていった。戻ってくると、手に焼き栗の袋を持っている。懐かしい匂い。焼いた栗の匂いは、どこでも同じなのだろうか。再び車が走り出して間もなく、後ろの座席から助手席へ何かを握った彼女の手が伸びてきた。掌で受け止めると、きれいに皮が剥かれた栗だった。
 百均に行くとどこのお店でも必ずと言っていい程、剥いた栗が売られているが、それを見ると時々、彼女の事を思い出す。ほんの数日、時間を共有しただけでも強い思い出を残す人がいる。
 (写真は photo library より。https://www.photolibrary.jp )

すばらしい獣たち


 昨日、ハリーポッターの番外編のような映画を観てきた。これまで子供が楽しむものだと思っていたが、映像の迫力に圧倒され続けた。思い立って観に行ったのは、主人公が動物学者だと何かで読んだからだ。子供時代の私の夢は、ドリトル先生になる事だった。彼のように動物と話せる事は、何よりもすばらしい事のように思えた。その本名が Dr. Do Little (ほとんど何もしない先生) だと知ったのは、随分後になっての事だったが。
 世の中には、私と同じような夢を持ち実現させた人たちもいる。アメリカや日本で飼育下のゴリラやチンパンジーに手話を教え、意思疎通を図る試みはすでに行われているそうだ。もし私が彼らと手話ができれば、最初にこう尋ねてみたい。「人間の事をどう思いますか?」そして彼らから同じ質問を受けたら、こう答えるだろう。「動物の中で一番、残酷です。」と。
 ウクライナで、亡くなった女性の背中に縛りつけられていたその子供(生きていた)の紐を切断したところ、地雷が爆発したという。(ウクライナ人外交官による英文ツイート)なまじっかの想像力を軽々と超える非道な行為は、私たち人間によってしかなしえない。今ほど、人間である事がどのような意味を持つのかが問われている時もないだろう。可愛らしい聖獣チリン(字幕ではなぜかキリン)や魔獣カモノハシを思い出しながら、そんな事を考えている。(写真は photo library https://www.photolibrary.jp より)