老いと花

還暦まであと1年半、日々の出来事や思い出を気ままに綴ります。

中途半端な運命

 30歳に差し掛かろうという時、ある駅で同世代の男性にいきなり声をかけられた事がある。やってきた電車に乗らないわけにもいかず、車内でしばらく話した。差し出された名刺には聞いたことはあるものの、すぐに顔を思い出すことはできない女優の名前が書かれていた。脇に「マネージャー」とある。半信半疑のまま受け取りながら、余りの強引な態度に鼻白む思いだった。
 その頃の交信手段はもちろん電話と手紙だけだったから、電話番号の交換に話が進んだ。差し出されたもう一枚の名刺の裏に番号を書くよう促され、いい加減な数字を書いた。本当に存在する番号でない事を願いながら。
 半年ほど経った頃、ある喫茶店の窓側の席で年上の友人と話に興じていた。壁面いっぱいの大きな窓から、外を行き交う人たちが見える。ふと視線を感じると、見覚えのある男性が足を止めてこちらを見ていた。外に出てくるように手まねきをしている。うその電話番号を渡したことがばれたのか、それとも結局電話はしなかったのか。仕方がなく友人を残して外に出ると、意外にも「あの番号にかけたら、違う人が出たよ」とだけ言い、あっさりと「じゃ、またよろしく」と人込みの中に戻っていった。
 車内で話した時、「君の名前(さすがにこれだけは本当の事を伝えた)は僕の妹の名前と同じだ。」と興奮気味だったが、彼にしてみれば運命を感じたのかもしれない。どちらか一方だけが感じても、運命の歯車は回り出さないものらしい。